塵(肉体)はもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰るのだそうですから。

お前たちはなんとゆがんでいることか。
 陶工が粘土と同じに見なされうるのか。

 造られた者が、造った者に言いうるのか、
 「彼が私を造ったのではない」と。


 陶器が、陶工に言いうるのか、
 「彼には分別がない」と。イザヤ書29:16

 

 

人よ、

神に口答えするとは、あなたは何者か。ロマ書9:20

 

            (ローズンゲン日々の聖句3/19;木)

 

 


 創り主と造られたものとの関係は、
ちょうど、陶工と粘土の関係のよう、ということのようですね。

粘土が、あるいは陶器が、
 自分を造った陶工に向かってこんなふうに言うとしたら、
それはとってもおかしいことなのでしょうけれど、
 私たち人間は、創り主に対して、こんなふうに言っているのでしょうね。
 声高らかに。

 


 「神はいない」と心の中で言うのは
愚かなことなのだそうです(詩篇14:1)。

 


 若い日に、自分の創造者を覚え(伝道の書12:1)、
 自分の悟りに頼らず、心を尽くして主により頼み、
 行く所どこにおいても、創り主を認める(箴言3:5~6)ことこそ、
 知恵のある在り方なのだそうです。

 


一人として、
 気まぐれに、無駄に、無目的に造られた者はないのだそうですから。

 


私たちの一日一日の歩みにおいても、
 一人一人に目的・ご計画をもっておられるのだそうですね。
今日も。

 

 

 

 

 


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