私たちと一緒に住んで下さるのだそうです。あの方。

わたしの声に聞き従え。
そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、
あなたたちはわたしの民となる。
エレミヤ書7:23
 
 
イエスの言葉:...
わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。
わたしの父はその人を愛され、
父とわたしはその人のところに行き、
一緒に住む。
ヨハネ14:23
 
            (ローズンゲン日々の聖句3/16;月)
 
 
 これを行えば、幸せになり、
生きることができるお言葉を与えて下さったのですね。
出エジプトの時、モーセを通して、天の神、主は。
 
「しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、
悪いかたくなな心のはかりごとのままに歩み、
前進するどころか後退した。
あなたがたの先祖がエジプトの国を出た日から
(7~800年たった)今日まで、
わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを、
毎日朝早くから、たびたび送ったが、彼らはわたしに聞かず、
耳を傾けず、うなじのこわい者となって、先祖たちよりも悪くなった。」(エレミヤ7:24~26)
と、天の神、主が嘆かれる結果だったのだそうです。
 
 
 人間の愛は、愛する相手を、情に絡めて、
自分の思ったとおりに支配しようとするものですが、
完全な愛とか、尊敬は、愛する相手の思っていることが実現することを
ひたすら願うもののようですね。
 
 あの本を、特にヨハネによる福音書などを読むと、
御父は、御子を、聖である霊と呼ばれる方を愛して、
御自分の思いの全部を知らせておられ、
 
御子である方、聖である霊と呼ばれる方は、御父を愛して、
その御父の御思いが実現することをひたすら願い、
それを御自身の生き甲斐、存在意義としておられるようです。
 
 御子イエスは、全知・全能の神でありながら、自分からは何ひとつしようとしないで、
御父を愛するゆえに、ただ、御父の御思いのとおりに行動しておられたようですね(ヨハネ8:28、12:50、14:10)。
それで、イエスは、はばかることなく、
「わたしと父とは一つです(ヨハネ10:30)」、
「わたしを見た者は、父を見たのです(ヨハネ14:9)」と、
大胆に言うことができたのですね。
 
 
 私たちにも、もし、この完全な愛が心に来れば、
御父の御思いが成ることが、
あるいは、私の願い、生き甲斐になるかもしれませんね。
 
 復活されたイエスが弟子たちに言われました。
聖霊を受けなさい(ヨハネ20:22)。」
 
天に帰られる時にも言われたのですね。
「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
もう間もなく、聖霊のバブテスマを受けるからです(使徒1:4~5)」と。
 
 聖である霊と呼ばれる方が来て下さるなら、
この方の御父への、御子イエスへの愛の思いが私たちの心にも伝わり、
また、御父が私たち一人一人を通してしようと思っていらっしゃる御思いを、
私たち一人一人の心に書き記して下さって、
イエスがそうであったように、私たちも、
御父がしようと思っておられることをしていく者に
していただけるのかもしれませんね(エゼキエル36:27、ヨハネ14:12)。
この新しい1週間も。
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