神様の御前に広げ、見ていただけるのですね。イエスの十字架刑での処刑が成った今は。

ヒゼキヤはアッシリア王の手紙を読むと、
 主の神殿に上って行った。
ヒゼキヤはそれを主の前に広げた。列王記下19:14

 

 

 

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。...
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
 求めているものを神に打ち明けなさい。フィリピ書4:6

 

 

            (ローズンゲン日々の聖句3/2;月)

 


 御前に広げ、見てもらうといいのだそうです。

 


 キリスト紀元前700年の頃のこと、
 南ユダ王国の王、ヒゼキヤは、エルサレムアッシリア帝国の大軍に包囲され、

降伏を迫るアッシリア王の手紙を受け取ると、

それを神殿に持っていき、天の神、主の前に広げ見てもらったのだそうです。

 

 

 

 天の神、主は、私たちに、パウロを通して、
 一人で抱え込んで、思い煩っていないで、
その思い煩っている様を天の神、主に打ち明け、御前に差し出し、
 広げ、見ていただき、知っていただきなさいと
勧めて下さっているのですね。

 


天の神、主は、
 私たちの思い煩いをご自身のこととして共有して下さるのだそうです。

 

 

 

 イエスの十字架刑での処刑によって
贖い(あがない、代価を払って買い戻すこと)が成っている今は、
 生まれたときからの私という霊から出て来る背きの罪の思いも、
そのままに御前に差し出すなら、
 主は、御自身のこととして受け取って下さって、
その全部に処理済、処刑済みの大判を押して下さるのだそうです。
 今日も。


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