あなたの教えを胸に刻みます。聖である霊と呼ばれる方によって。

私の神よ、
御旨を行うことを私は望み、
あなたの教えを胸に刻みます。詩編40:9
 
 
神を愛するとは、神の掟を守ることです。
神の掟は難しいものではありません。Ⅰヨハネ5:3
 
              (ローズンゲン日々の聖句2/28;土)
 
 人間の愛は、相手を自分の思ったとおりに動かそうとする。
 
神から来る愛は、相手の思っていることが成ることを願う。
神を愛する者は、神が思っていらっしゃるとおりに生きたいと願うから
神の掟を胸に刻みつけ、常に意識しておれるようにしようとするのだそうです。

天の神、主は、私たち人間と
愛し合い、思いを一つにし合う関係になりたいと願い、
永遠の初めから共におられた独り子である方を、
人間イエスとして、人の世に生れさせ、
私たち人間の背きの罪のすべてをこの方の上に置き、
およそ33歳の頃、この方を十字架刑で処刑することで、
私たちのそむきの罪を処刑が済んだものとの手続きを済ませて下さった。
 
それで、私たち人間は、どんな背きの罪の思いが心に浮かんで来ても、
それをそのまま、天の神、主の御前に差し出し、広げて、見ていただけるようになった。
すべて、イエスの十字架刑で処刑済みのものとして。
 
このようにして、聖である神が、私たち罪人の思いを受け取り、
一つ思いになって下さる道が開かれたのだそうです。
 
 
 さらに、天の神、主は、イエスによる救いを受け取った者の内に、
もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を派遣して、
この方によって、私たち一人一人の心に、私たち一人一人、それぞれに関する
ご自身の御思いを来させ、置いて下さって、
各自、それぞれに関わる部分において
ご自身の御思いと同じ思いを持ち、同じ願いを願う者にして下さる。
 
 このようにして、天の神、主は、
新しい契約として、
イエスの十字架刑での処刑によって、
私たちのそむきの罪の思いと一つになり、
御自身の思いを私たちが一つにする、
思いを一つにし合う関係を完成して下さったのだそうです。
  
 
 この新しい契約に生きる者は、
  
生れたときからの私という霊から来る背きの罪の思いの一つ一つを
天の神、主の御前に差し出し、見ていただき、知っていただきながら、
その一つ一つが処刑済みであることを確認しつつ、
新しく、聖である霊と呼ばれる方によって心に、胸に来る御思いを
我が思いとして行動していく者になるのだそうですね。
今日も。
イメージ 1
 
 
 

 

 

 

 

<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a>