聞く耳、見る目を持っている者は幸い

あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、
あなたは町にいても祝福され、
 野にいても祝福される。申命記28:2~3

 


イエスは弟子たちにお語りになった。
「あなたがたの目は見ているから幸いだ。
あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」タイ13:16

 

 

               (ローズンゲン日々の聖句2/23;月)

 


 御声に聞き従うなら祝福にあずかるのだそうです。

けれども、自分の理性の判断を正しいとする、
 善悪を知るようになった人間(創世記3:22)は、
 創造主の言葉よりも、自分の判断のほうが正しく、良いと思うのですね。

 


 それで、語りかけても聞かず、
ことを起しても見ようとしないのだそうです。

 

 

 

天の神、主が、
イエスを通して語られた言葉、
そのことばの裏付けとしてなされたしるしと不思議、
その、証拠の御業を目の当たりにしても、
 多くの人は、聞いても聞かず、見ても見なかったのですね。

 


 自分の判断は、ともかく、ちょっと横に置いておいて、
それを見た者、聞いた者は、心開かれ、
この方、イエスこそ、神から遣わされた方だと分かったのだそうです。

 

 

 

 天の神、主は、

特別な時には直接、語りかけられることがあるようですが、

イエスが十字架に架かり、処刑を受けて下さって、

私たちの罪の贖(あがな)い、代価の支払いが完了して

新しい契約が成立している今は、

日常的には、イエスによって派遣され、私たちの内に来て下さる
聖である霊と呼ばれる方によって、私たちの心に御思いを置くという在り方で

私たちに語りかけることが多いのだそうです(エレミヤ31:33)。

 


その、私たちの心に置いて下さる御思いに
耳をすませ、
その思いについて行ってみて、その結果を見る歩みをしてみたいものですね。
 今日も。


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