貧しい者の訴えを取り上げ、決着をつけて下さるのですね。あの方

私は知っています、
主は必ず、貧しい人の訴えを取り上げ、
乏しい人のために裁きをしてくださることを。
詩編140:13

 

神は世の貧しい人たちをあえて選んで、

信仰に富ませ、
ご自身を愛する者に約束された国を、
受け継ぐ者となさったではありませんか
。ヤコブ書2:5
   
  (ローズンゲン日々の聖句2/10;火)

 

 天の神、主と呼ばれる方は、貧しい者を特に心に留め、
しいたげられている者のために正しい裁きを行ってくださる方。
貧しい者をあえて選んで、信頼関係を深めて下さる方、
天の御国を受け継ぐ者となさった方なのですね。

イエスが話した
「ある金持ちとその家の門前で横たわる乞食のラザロ」の話の中で、
イエスは、アブラハムをして、その金持ちに対して
「子よ。思い出してみなさい。
おまえは生きている間、良いものを受け、
ラザロは生きている間、悪いものを受けていました。
しかし、今ここで彼は慰められ、お前は苦しみ悶えているのです。」
と言わせています(ルカ16:19~31)。

この世で貧しかった分、
来るべき世界では良いものを与えていただけるようです。

もちろん、物質的に、富む者、貧しい者ということがありますが、
それだけではなく、
富んでいるゆえに、自分の力だけでその富を得たように思い、
天の神との関係を軽んじていくようになった金持ち。

いっぽう、ラザロのほうは、
食べる物もままならない貧しさのゆえに、
天の神に叫び訴え、
この方との関係が深められていったということかもしれません。

心の(霊の)貧しい者は幸い。
天の御国はその人たちのものだから(マタイ5:3)

今、順調なところにいる人は、
それが自分の力だけで得ているわけではなくて、
天の神、主の支えの中で、そうあり得ていることを認め、
主に感謝をささげる者に。

今、不遇な境遇にいる人は、
その不遇を神に訴え叫び、
主との関係が深まっていくようにと
願っていて下さるのでしょうかね。
あの方は。

今日も。

 

 

 

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