罪に定められることはないのだそうですね。救いを受け取れば

主はこう言われる。
彼ら(捕囚の民)に目を留めて恵みを与え、
この地に連れ戻す。
彼らを建てて、倒さず、
植えて、抜くことはない。
エレミヤ24:6

 

今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、
罪に定められることはありません。
ロマ書8:1    

     (ローズンゲン日々の聖句2/4;水)

 

背きの罪の結果、招いたバビロン捕囚でしたが、
償いは終わったものとして、捕囚から解放し、
エルサレムへ連れ戻して下さるのだそうです。

 

あの本には、
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、
二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために
来られるのです」(ヘブル9:28)
と記されていますが、一方的に判決が下されるということではなく、
言い開き(弁明)の機会はあるようですね。

それで、自分には罪がないと思う人や、罪の程度が懲役刑くらいだと思う人は、
なお、自分の努力で義を獲得出来るのでしょうが、
自分の背きが死刑判決を受けるものだと知った者にとっては、
天の神、主が、御子イエスの命を懸けて完了して下さった救いが希望なのですね。

 

このプレゼントを受け取った者には、

もはや罪の判決を言い渡されることはないのだそうです。

イエスによって処刑済みの手続きが完了しているのだそうですから。

 

そして、単に罪を赦したというところにとどまらず、
もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を派遣して、
この方によってご自身と思いを一つにし、心が通じ合う
家族の関係に入れようと招いていて下さるのだそうです。

あの方が、嫌だなと思うことを私たちも嫌だなと感じ、

あの方がしたいと思うことを、

私もしたいと願うようにして下さるのだそうです。

今日も。

 

 

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