新しい生き方を生きることが出来るのだそうです。私たちも

主を畏れることは、
悪を憎むこと。
箴言8:13

 

あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、
キリスト・イエスに結ばれて、

神に対して生きているのだと考えなさい。
ロマ書6:11

 

     (ローズンゲン日々の聖句1/28;水)

 

 

 悪を憎むこと。
生まれた時からの私という反逆している霊は死ぬしかない者と
認めることも入るのでしょうね。

 

 新しく生まれる。

罪に対しては死んだもの、
神に対して生きる者と計算していいのだそうです。
手続きは、全部、
あの方のほうで完了して下さっているのだそうですから。

 

 天の神、主は、私たち人間の一人一人を取り戻すための2段階を計画されたようですね。

 第1段階として、私たち人間が、ご自身と一緒になって善悪を判断していくことをやめ、自分の理性の判断だけで善悪を決定していく者となっている、その背きを処罰すること。

 天の神、主は、このために天地の造られる前からともにおられた御子である方を、人間イエスとして人の世に生まれさせ、この方を私たち人間の身代わりとして立て、十字架刑で処刑することで、私たち、すべての人間の一人一人を処刑が終わった者との手続きを済ませて下さったのだそうです。
それで、イエスは、十字架上でこの手続きが「完了した」と宣言されたのですね(ヨハネ19:30)。
今、私たち人間は、罪に対して、死んでいるものと計算していいのだそうです。

 

 そのうえで、今度はもう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を私たち人間の一人一人の中に派遣して、この聖である霊と呼ばれる方によって私たちの心に、天の神、主の思いを書き付けて下さって、私たちが天の神、主と思いを共有しながら生きる、新しく生きる者として下さるのだそうです。

 これは、天の神、主からの、私たちへの一方的なプレゼントなのだそうです。

 

 だから、今、私たちは、このプレゼントをもらいさえすれば、神に対して生きている者と計算していいのだそうです。

 

キリスト・イエスにつく者は、

自分の肉(生まれた時からの私)を、

さまざまな情欲や欲望とともに、

十字架につけてしまったのです。

もし私たちが御霊によって生きるのなら、

御霊に導かれて、進もうではありませんか(ガラテヤ5:24~25)。
今日も。

 

 

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