叫ぶ叫びを聞いて下さり、流す涙を見ていて下さるのですね。あの方

主はこう言われる。

 わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。

   見よ、わたしはあなたをいやす。列王記下20:5

 

 

アナニアはサウロの上に手を置いて言った。

 「兄弟サウル、主イエスは、あなたが元どおり見えるようになり、

   また、聖霊で満たされるようにと、

       わたしをお遣わしになったのです。」使徒9:17

 

    (ローズンゲン日々の聖句12/10;水

 

 叫ぶ声を聴き、流す涙を見て下さるのですね。

天の神、主と呼ばれる方は。

 

 病気になり、「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」と預言されて、

ベットで顔を壁に向けて大声でなく、ユダの王、ヒセキヤの声を聞いて下さり、

計画を変更して15年寿命を延ばして下さったのだそうです(列王記20:1~7)。

 

 また、復活されたイエスが、イエスをキリストと受け入れた人たちを捕え、投獄するために

殺害の意に燃えてエルサレムからシリアのダマスコに向かう迫害者サウロに現れ、

「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」、

「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」と声をかけられ(使徒9:1~19)、

今まで、この道の者は神に反する者、これを滅ぼすことが神に仕える道だと思って、熱心に、

迫害に息をはずませていたサウロに、

実は、それは神に逆らう出来事だったと分からせたのですね。

 

 そして、それを知って悲嘆に暮れているサウロにアナニアを遣わして祈らせ、

その祈りに答えて聖霊と呼ばれ方を遣わし、満たし、

天の神、主の御思いが心に来て、この方がしようと思われることをしていく者とされ、

使徒パウロとしてお立てになったのだそうです。

 

 心を一つにしていくためには二つの方向があるようですね。

こちらの思いを相手の前に広げ、見てもらい、知ってもらう方向と、

相手の思いを知っていく方向。

 

 聖である霊と呼ばれる方が来て下さると、

自分の思いのたけをそのままに御父の前に差し出し、広げて

見ていただくことが出来るように運んで下さるのだそうです。

 

 そして、私に関して御父が思っていらっしゃることを私の心に書き付け、置いて下さり、

私たちを御父と同じ思いをもつ者にし(エゼキエル36:25~27)、

御父が私たちをとおしてしようと思われることを私たちがしていく者にして下さるのですね(ヨハネ14:12)。

 

 聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、

御父がしようと思われることをしていきたいですね。今日も。

 

 

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