隠して行けば暗闇、差し出し、広げて見ていただけば、明るい光の出来事に変わるのだそうです。

私は言いました。

   「主に私の背きを告白しよう」と。

  そのとき、あなたは私の罪と過ちを赦してくださいました。

      詩編32:5

 

 

 

私たちは、この御子によって、贖(あがな)い、

   すなわち罪の赦しを得ているのです。コロサイ書1:14

      (ローズンゲン日々の聖句10/21;火) 

 

 

 我々が一つになっているように、我々と一つになる者をと願われて造られながら、その一つの中にいるよりも、自分がより優れたものになろうとしてあの方との一つを止め、自ら善悪を知る者となった私たち人間。

その背きの罪を負って生まれてきた私たち。

居るべきところからはずれたために起こる数々の罪。

その罪の一つ一つをあの方の前に告白し、差し出し、

御前に広げて見ていただくとき、

その罪のすべてが御子イエスの十字架の処刑によって処罰済みとしていただいていることを発見するのですね。私たち。

 

 天の父と呼ばれる方は、なお、私たちと一つになることをあきらめないで、私たちを罪の奴隷から買い戻す道を着々と進めて下さったのだそうです。

そして、ご計画の時が満ちて、預言の約束の通りに、御子である方を女の子孫として人の世に送り、この方、イエスを十字架刑で処刑することで、善悪を知る者となっている生まれたときからの私という霊を処刑済みの者とし、これに替えて聖である霊と呼ばれる方を私たちの内に派遣し、この方によって私たちの心に、天の父と呼ばれている方の御思いを書き付け、同じ思いを持つ者とし、一つ行動をとる者になるようにと道を拓いて、招いて下さっているのだそうです。

私たち、天の父がしようと思われることをする者になれるのですね。

今日も。

 

 

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