愛は、相手と一つ思いになろうとするもののようですね

神を愛する人は、

     兄弟をも愛すべきです。

      これが神から受けた掟です。Ⅰヨハネ4:21(今週の聖句)

 

 

 

主はサムエルと共におられ、

    その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。サムエル記上3:19

 

 

 

パウロの手紙:

私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、

   ただ言葉だけによらず、

      力と、聖霊と、強い確信とによったからです。Ⅰテサ1:5              (ローズンゲン日々の聖句10/19;日)

 

 

 

 愛する者は愛する方と思いを一つにしたいと願うのでしょうね。

それで、愛する方が愛しておられる者を、その者も愛するようになるのでしょうね。

  イエスは、天の父と呼ばれる方を愛しておられ、その愛する方と思いを一つにし、

愛する方の御思いが成ることだけを願っておられた。

それで、自分からは一言も話さないで、愛する方が話そうと思われる事だけを話していったのだそうです。

だから、そのイエスが話した言葉は言葉どおりの事実となっていった。   預言者サムエルも、ただ、天の父と呼ばれる方が話すようにと言われたことだけを預言していった。だから、その言葉が空しく地に落ちることはなかった。その預言の言葉はそのとおりに実現していったのですね。   パウロが伝えた、イエスに係わる喜びの音信は、言葉だけで終わることはなく、力と聖霊と強い確信による事実を伴っていたということなのでしょうか。

  私たちも、善悪を知る者となり、天の父と呼ばれる方に対抗し、自分の善悪の判断を実現しようとする、生まれた時からの霊を、イエスの十字架刑の処刑に合わせていただいて、死んでしまった者と見なしていただき、復活し、天の父と呼ばれている方の右の座に帰られたイエスによって派遣される、聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、この方の、父である方、御子である方を愛する、その愛の思いに合わせていただいて、その御思いのとおりに語っていくようになりたいですね。その言葉の一つたりとも地に落ちることはなかったと言われるほどに。

今日も。

 

 

 

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