自由人にしてくださっているのですね。あの方が

わたしは主、あなたの神、

  あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。出エジプト記20:2

 

 

 

信仰によって、

 モーセは成人したとき、

   ファラオ(エジプト王)の王女の子と呼ばれることを拒んだ。ヘブル書11:24

       (ローズンゲン日々の聖句10/9;木)

 

 

...

 罪の奴隷から解放して自由人に、相続の権利を持つ子にして下さるのだそうです。私たちを、あの方。

 

 あの方は、御自分と心を一つにし、思いを一つにし、行動を一つにする者をと願って、私たち人間を造って下さったのだそうです。

 

 けれども、私たちは、善悪を知る者となり、あの方に相談しないで自分一人で善悪を判断し、これを実現しようとする者となり、他の人を蹴落として、いつも自分が最高の地位にいる者になろうとする者になっています。

あの方は、そんな私たちを、なお、大切に思い、惜しんで下さって、贖(あがな)い、買い戻しの計画を立てて下さったのだそうです。

 

 あの方は、エジプト脱出の晩、イスラエルの民に、小羊を屠りその血を門柱と鴨居につけて神の怒りを過ぎ越すように命じられました。

 

 そして今度は、あの方ご自身が、私たちの身代わりに、独り子である方を反逆者として十字架刑で処刑し、私たちの処刑が終ったものとして、私たちが受けるはずの罰を過ぎ越して下さったのだそうです。

 

それで、このことが成っている今は、「よろしくお願いします」と、これを受け取りさえすれば、私たちを処刑が終っているものとして扱って下さるのだそうです。

そればかりでなく、聖である霊と呼ばれる方を私たちのうちに派遣して下さって、私たちに、あの方の子、相続人としての地位を与えて下さり、この方によって、御自身の御思いを私たちの心に置いて下さって、私たちがあの方と一つ思いをもつようにして下さるのだそうです。

 

 

 モーセがエジプトの王女の子として、エジプトの富を手に入れるよりも、神の民と共に苦しむことを選んだように、私たちも、やがて与えられる素晴らしい栄光から目を離さないで、あの方と何でも相談し、見ていただき、心を一つにしながら進みたいものです。

今日も。

 

 

 

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