「わたしの仲間よ!」って、読んでいただけるのだそうです。イエスから。

人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。箴言29:25

 

 

 だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表すものは、

わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。マタイ10:32

 

    (ローズンゲン日々の聖句10/4;土)

 

 

...

 人のほうを向いていると、人からどう思われるか、どう扱われるか、恐怖に襲われることになるようですね。

あの方に目を向け、信頼していると守りの御手が見えてくるのだそうです。

人を怖れて、イエスの仲間ではないというなら、栄光の御座の前に出た時、あなたを知らないと言われても仕方のない私たちですね。

 

 

 とはいえ、3度も、しかも誓ってまで、あの人を知らないと言ったペテロを振り向かれたイエスの眼差しは、ペテロを優しく包み込んだのでしょうね。だから、そのまなざしに触れたペテロは、外に出て思いっきり泣いたのだそうです。

 

裏切るペテロに、イエスは前もって言われました。「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けらました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:31~32)と。

 

 

 イエスの祈りに支えていただき、そして、天の、父と呼ばれている方の栄光の御座の前に出た時、天使の万軍の前で、イエスから「わたしの仲間よ!」と呼んでいただけるなら、これ以上の光栄はないですよね。

 

 この希望をしっかりと見ていきたいですね。今日も。

 

 

 

 

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