腐った木に彫刻はしないですね。誰も。それなのにあの方は

人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは、主なるわたしである。それぞれの道に従って報いる。エレミヤ書17:9~10

 私たちの心に責められることがあっても、神は、私たちの心よりも大きく、すべてをご存じである。Ⅰヨハネ3:20

    (ローズンゲン日々の聖句9/30;火)

...

 身代わりを用意して下さったのですね。 私たちの心の奥底の思いまでも知っておられて、処罰するしかない私たちを、なお、惜しんで下さって、ご自身の独り子を人として人の世に遣わし、この方を私たちの身代わりに処刑することで、私たちを処刑が済んだ者とみなして下さっているのだそうです。

 あの方は、ご自身が、御子である方、聖である霊と呼ばれる方と心を一つにし、思いを一つにし、行動を一つにしていらっしゃる、その一つに加わるものをと望んで私たちを造ってくださったのだそうです。

 その望みをあきらめないで、持ち続けていて下さって、御子イエスの十字架刑での処刑によって背きの罪の処罰が終わった私たちに、もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を派遣して下さって、この方によって、私たちの心にご自身の思いを置いて下さって、私たちを、ご自身と思いを一つにする者として下さるのだそうです。

 私たちは、今、イエスがそうであったように、あの方が話そうと思っていらっしゃることを話し、あの方がしようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうです。

 私の心に、あの方のどんな思いが来るのか、どんな御業に関わらせていただけるのか、楽しみですね。

今日も。

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