互いに愛し合うようになるのですね。あの方によって

モーセの言葉: あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。 これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。申命記13:1 

 

 

 

 神の掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、互いに愛し合うことです。Ⅰヨハネ3:23(ローズンゲン日々の聖句9/27;土)

 

 

 

 クシュ(エチオピア)人がその皮膚を、ヒョウがその斑点を変えることができようか。

もしできたら、悪になれたあなたがたでも、善を行うことができるだろう、とあの方は仰るのですね(エレミヤ13:23)。

 

 

 パウロは言います。神の掟を自分の力で守る道によっては、だれひとり、神の前に義と認められる人はいない、と(ロマ3:20)。

 モーセ以来、1500年のイスラエルの人々の熱心によっても、だれひとりいないことが実証された。 だから、パウロはこのように言い切ることができたのでしょうね。 その、だれひとりいなかった道に、なお、私たちは挑戦を続けるのか。

 

 パウロは続けて言います。

「しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によって証しされて、神の義が示されました。

すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、

それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません」と(ロマ3:21~22)。

 

 

 新しい契約、

それは、聖である霊と呼ばれる方が私たちのうちに来て下さって、

私たちの心に、父である方の御思いを置いて下さり、書き付けて下さるので、

私たちが父である方と同じ思いをもち、

父である方と一つ行動をとるようになるというものでした(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 

 聖である霊と呼ばれる方によって、

私たちを愛して下さっているあの方の御思いが私たちの心の思いに来て、

私たちも互いに愛し合うようになるのですね。

今日。

 

 

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