どこまでも主に信頼せよ、
主こそはとこしえの岩。
イザヤ書26:4
私たちは、
キリストによって
確信を神の前で抱いています。
Ⅱコリント3:4
(ローズンゲン日々の聖句9/26;金)
...
あの方の思われていること、その言葉が私たちの土台なのですね。
あの方が言われるとおりに、イエスの十字架刑を我が処刑と受け取り、聖である霊と呼ばれる方を迎えた者は、新しい契約よって生きるのですね(エレミヤ31:31~34)。
文字に仕えるのではなく、御霊に仕えるのだそうです。
石の板に刻まれた文字による務め、結果として、罪に定め、死を宣告するしかない務めが栄光あるものであれば、人を義とし、人を生かす御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
その務めに、私たち、招かれているのだそうです。
御霊とか、聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、父と呼ばれている方のこれからしようと思っておられることをわが心に思わせていただいて、その思いのように行動していくのだそうです。
生れた時からの私という霊(肉)を十字架につけた者は、御霊と呼ばれる方が心に置いて下さる思いに導かれて進むのですね(ガラテヤ5:24)。
さて、あの方、今日はどんなことをさせて下さるのでしょうか。
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