子として、行動を共にさせていただけるのだそうです。あの方と

主は

わたしに

油を注ぎ、

 

主なる神の霊が

わたしを

とらえた。

イザヤ書61:1

 

 

 

神の霊によって

導かれる者は、

神の子

なのです。

ロマ書8:14

   

 

 (ローズンゲン日々の聖句9/6;土)

...

 

 

 御子である方が、

私たちの罪を

ご自分の身に全部引き受けて下さったので、

 

聖である霊と呼ばれる方が、

私たちのうちに

来られることになったのだそうです。

 

 

その方が、

父である方の御思いを

私たちの心に置いて下さるので、

 

その思いに導かれて進む者は、

神の子と呼ばれるのだそうです。

 

子が

父と

思いを一つにし、

一つ家族として一つ屋根の下で、

一つ食卓を囲んで

生活するように。

 

子の、相続人の、

身分を受け、

 

栄光をともに受ける者

として。

 

 

 貧しい者に

良い知らせを伝え、

 

心の傷ついた者を

いやし、

 

捕らわれ人に解放を、

囚人には

釈放を告げ、

 

すべて

悲しむ者をなぐさめ、

 

悲しみの代わりに

喜びの油を、

 

憂いの心の代わりに

賛美の外套を

つけさせよう

(イザヤ61:1~3)

と、

あの方が思われる、

 

その同じ思いが

私たちの心にも来て、

 

私たちが、

あの方の

口として、耳として、手として、足として

用いていただけるのですね。

 

心に来た

その思いに

ついて行くとき。

 

今日も。

 

イメージ 1


 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

<a href="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><img src="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif" alt="PVアクセスランキング にほんブログ村" /></a>

 

[269RANKのランキングサイト]

 

 

"哲学・思想 ブログランキングへ"