家を建てる場所選びは大切ですね。土台をどちらにするか

岩と頼むのは

私たちの

神のみ。

サムエル記上2:2

 

 

 

イエス・キリストという

既に据えられている土台を

無視して、

 

だれも

ほかの土台を

据えることは

できません。

Ⅰコリント3:11
   

 

 (ローズンゲン日々の聖句8/26;火)

 

 

 

 信仰の土台は

イエス・キリストなのですね。

 

ほかのものを土台にするなら

洪水で流され、

壊れてしまう。
  

 

人は

自分でよいと思うものを

土台とします。

 

その判断は

自分の理性を

信頼するところから

起こります。

 

それを

土台と選んだ

自分の理性が

一番上位に置かれている

ということですね。

 

 

 

あの方と

思いを一つにすることを

やめ、

 

自分一人の理性で

善と悪とを

判断し、

決定する者となった

人間。

 

そこから

自分に都合のいい神を作りだす歴史が

始まったのでしょうね。

 

いろいろなものを

土台としているように見えますが、

結局のところ、

自分の理性を土台としていると

いうことでしょう。
  

 

イエス・キリストを土台として生きるとは、

あの本が宣言しているとおり、

イエスが

十字架刑で処刑されたことで、

私たちの

“生まれた時からの霊”が

処刑されたと

受け取り、

 

新しく、

“聖である霊”と呼ばれる方が

私たちのうちに来て下さって、

私たちの心に

“御父”と呼ばれる方の

御思いを

書き付けて下さるとの

約束を受け取って、

 

心に来る

その方の御思いによって

行動していくことなのでしょうね。
  

 

イエスがそうであったように、

御父が

私を通して

しようと思っていらっしゃることを

 

私が

していくようになるのだそうです。

 

今日も。

 

イメージ 1


 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

 

[269RANKのランキングサイト]

 

 

"哲学・思想 ブログランキングへ"

 

<a href="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><img src="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif" alt="PVアクセスランキング にほんブログ村" /></a>