偉大な真理の真っ只中に置いていただいているのですね。私たち

私の神、

主よ、

 

あなたは

多くの不思議な業を

成し遂げられます。

 

あなたに並ぶものは

ありません。

詩編40:6

 

 

 

信心の

秘められた真理は

確かに

偉大です。

 

 

イエス・キリスト

肉において

現れ、

 

 

“霊”において

義とされ、

 

 

天使たちに

見られ、

 

 

異邦人の間で

宣べ伝えられ、

 

 

世界中で

信じられ、

 

 

栄光のうちに

上げられました。

Ⅰテモテ3:16
    (ローズンゲン日々の聖句8/23;土)

...

 

 

あの方の為された

不思議な業。

 

出エジプトの時もそうですが、

私たち

“的外れ”になってしまっている

人類を、

 

万物創造の目的に

回復するためになされた

業は

さらに偉大ですね。

 

 

 

 御父は、

御子である方と

御霊と呼ばれる方を

愛して、

 

ご自分の思いのすべてを

明かしておられる。

 

 

御子と

御霊と呼ばれる方は

それぞれ、

全知であり、

全能の方であるにもかかわらず、

 

御父への愛と尊敬のゆえに、

自分からすすんで、

 

ただ、

御父の御思いが成ることだけを

願いとし、

 

御父と

思いを一つにし、

行動を一つにしておられる。

 

 

愛し合うゆえに、

御子である方、

御霊と呼ばれる方が、

御父と

思いを一つにしていらっしゃる、

 

その

一つに加わり、

 

愛し合う者をと

願われて造られた

私たち人間。

 

 

御父の愛の御思いを、

そのまま、

他の造られたものに

及ぼし、

 

御父の

御思いのとおりに

治めていくよう、

任された人間

(創世記1:26)。

 

 

 

御父への

愛も尊敬も捨て、

 

御父の御思いを

成していくことよりも、

 

自分の

善悪の判断を

重視し、

 

自分の善悪の判断のとおりに

やっていく道を

選んだ

人間。

 

 

その善悪を知る者となった

人間同士の関係は、

絶え間のない

対立と争いなのですね。

 

 

 御父は、

その

的外れになった人間を

なお、

惜しみ、愛して、

最初の目的の場に

回復しようとしていて下さる。


 

 

 御子である方を、

天の栄光の御座を後にして、

肉として、

人間として

人の世に

生まれさせ、

 

この方に

私たち人間の背きの罪の

すべてを

負わせて

十字架刑で処刑して、

 

私たちの、

“生まれた時からの私という霊”を

処刑済みとする手続きを

完了した後、

 

復活によって

義とせられていることを

私たち人間に

証明されたのだそうです。
  

 

このことは、

はじめから終わりまで、

天使たちが

かたずを飲んで

見守っていたこと。

 

 

そして、

今、

イスラエル人以外の

世界中の人々に

証言され、

信じられているのですね。
  

 

御父は、

オリーブ山で、

弟子たちの見守る中、

 

復活したイエスを

天に上げられ、

 

御子の場所、

ご自分の右の座に

就かせておられるのだそうです。


 

そして、

もう一度、

 

今度は

私たちを迎えに

遣わして下さるのだそうですね。

 

 

信仰の秘められた真理と

呼ばれていますが、

 

私たち、

その日を待ち望みながら、

この事実の中を

進むのですね。


 

イエスのように、

聖である霊

(御霊)

と呼ばれる方によって

私たちの心に置かれる

御父の御思いを

我が願いとしながら。

 

今日も。

 

 

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