一つ心にしていただけるのだそうですね。聖である霊と呼ばれる方によって

菅佐知男のブログ - Yahoo!ブログ

神は

あなたがたを

男と女に創造された。

創造の日に、

あなたがたを

祝福されて、

人と

名付けられた。

創世記5:2

 

主においては、

男なしに

女はなく、

女なしに

男はありません。

それは

女が男から出たように、

男も

女から生まれ、

また、

すべてのものが

神から出ているからです

Ⅰコリント11:11〜12
    

(ローズンゲン日々の聖句7/2;水)

...

 

男のあばら骨から、

女は

造られたのだそうです。

この時、

男は

「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。

これを女(イシャ)と名づけよう。

これは

男(イシュ)から

取られたのだから。」と

言ったのだそうです。

これこそ、

私と一体のものという

感激の言葉なのでしょうか。

そして、

創造の時、

女は男から出たように、

その後は、

男も

女から生まれるわけですものね。

男と女は

一つになる関係なのですね。

御父と御子と御霊が、

それぞれ

全能、全知、永遠の存在でありながら、

「わたし」を

主張しあう関係ではなく、

愛と尊敬のゆえに

心を明かし合い、

御子と御霊と呼ばれる方は、

御父の思っていらっしゃることがなることを

ひたすら願い、

喜びとして

いらっしゃるのだそうです。

一つになっていらっしゃる関係なのだそうですね。

結婚は、

この

「あの方々の一つ」を

見える形で表す型だったのでしょうか。

その一つであった男と女が、

あの方々との「一つ」を止めて、

「善悪を知る者」となり、

自分の理性で善悪を判断し、

周りを自分の判断に従わせようとするようになったとき、

女は

男を

自分の意のままに動かそうとし、

男は

女を

支配するようになったのだそうです

(創世記3:16)。

イエスの十字架の死を

私の死と受け止め、

イエスによって御父から派遣される

聖である霊と呼ばれる方によって、

私たちの心に来る

御父の愛と思いやる心について行くとき、

私たちは

あの方々と一つ思いになり、

男と女も

心から一つになっていけるのでしょうね。

今日も。

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