愛である神とのお名前にふさわしく行ってくださったのですね。あの方

我々の罪が

我々自身を告発しています。

 

主よ、

御名にふさわしく

行ってください。

エレミヤ書14:7

 

 

 

(バブテスマの)

ヨハネは、

自分の方へイエスが来られるのを見て

言った。

 

「見よ、

世の罪を取り除く

神の小羊。」

ヨハネ1:29
   

 

 (ローズンゲン日々の聖句6/24;火)

...

 

 

イエスを身代わりの小羊とし、

我々の罪を彼の上に置き、

彼の処刑を私たちの処刑として、

私たちを処刑済みの者と見なして下さったのですね。

あの方。


 

私たちの罪にふさわしく

私たちに行うのではなく、

 

御名にふさわしく、

正義を貫きながら、

愛と憐れみを現して下さったのですね。

私たちに。

 

 

そして、

いよいよ、

人間創造の目的、

 

父がイエスにおられ、イエスが父におるように、

私たちが御父、御子、御霊におるようになり、

 

御父、御子、御霊が一つであるように、

私たちが、

御父、御子、御霊と一つになる、

 

回復される。


 

復活され、

天の御父の右の座に帰られたイエスによって、

 

御霊とか聖である霊と呼ばれる方が

私たちのうちに派遣され、

 

この方によって、

私たちの心が一新され、

 

私たちの心に

御父の御思いが来るようになり、

 

私たちが

御父がしようと思われることをするようになる。

 

御父と

一つ思いになり、一つ行動をとる者と

なる。


 

聖である霊と呼ばれる方によって

心に書き付けられる思いに

心を向け、

 

その思いに

ついて行きたいですね。


 

イエスが、

「わたしが言う言葉は、わたしが自分から話しているのではありません。。

私のうちにおられる父が、

ご自分の業をしておられるのです

(ヨハネ14:10)。

 

わたしと父とは一つです

(ヨハネ10:30)。

 

わたしを見た者は、

父を見たのです

(ヨハネ14:9)」

 

言った言葉が、

私たちも言えるほどに。

 

今日も。

 

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