私たちは、
自分の手が造ったものを、
再び
私たちの神とは
呼びません。
ホセア書16:4
人は、
たとえ
全世界を手に入れても、
自分の命を失ったら、
何の得があろうか。
マタイ16:26
(ローズンゲン日々の聖句6/9;月)
...
自分に都合のいい神々を作りだす我を、
十字架を背負って
処刑上へ向かっている自分と
認めて、
聖である霊と呼ばれる方が
私の心に書きしるして下さる
あの方の御思いについて行くことが
永遠の命。
だから、
「自分を捨て、自分の十字架を負い、
わたし(イエス)について来なさいと、
イエスは言われるのですね。
ペンテコステ(五旬節)、
律法賦与の記念日。
旧い契約が締結された記念日
(出エジプト19:4~8、24:3~8)。
そして、
イエスによる私たちの罪の贖いが完了して、
聖である霊と呼ばれる方が
私たちのうちに来られて、
あの方の御思いを
私たちの心の思いに入れて下さり、
私たちが、
その思いについて行き、
あの方のしようと思っておられることを私たちがしていくようになる
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)という、
新しい契約が実現した日
(使徒2章)。
これを受け取って、
命を得ていってほしいと、
あの方、
願っておられるのだそうです。
今日も。
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