迎えに来て下さるその日までは、目の瞳のように大切に守って下さるのですね。あの方

「武力によらず、

権力によらず、

だだ

わが霊によって」と

万軍の主は

言われる。

ゼカリヤ4:6

(今週の聖句)

 

 

 

主よ、

瞳のように

私を

守ってください。

詩編17:8

 

 

 

わたしは、

あなたがたを

みなしごにはしておかない。

 

あなたがたのところに

戻って来る。

ヨハネ14:18     (ローズンゲン日々の聖句6/8;日)

 

 

 

これってまるで日本国憲法のようですね。

 

 

あの方は、

私たちのことを

御自身の目の瞳でもあるかのように

大切に思って、

守っていて下さるのだそうです。

 

そして、

孤児のように、

守る者がいなくて

放っておかれるような状態に、

私たちを放置されることはないのだそうです。

 

 

イエスは言われました。

「あなたがたのために、

わたしは場所を備えに行く。

わたしが行って、

あなたがたに場所を備えたら、

また来て、

あなたがたをわたしのもとに

迎えます。

 

 

わたしのいるところに、

あなたがたをもおらせるためです。」

ヨハネ14:2~3

 

 

イエスは、

十字架刑で処刑され、

洞穴の墓に埋葬ましたけれど、

 

それから3日目の日曜日の朝早く、

復活され、

40日に渡って

何度も弟子たちに会って下さって、

御自分が復活してことを証明されたうえで、

弟子たちの見ている前で

天に上げられ、

御父の御もとに帰って行かれました。

 

けれども、

私たちを迎えに、

もう一度

来て下さるのだそうですね。

 

それまでの間も、

もう一人の助け主を送って下さって、

その方によって、

私たちを

目の瞳のように守って下さるのだそうです。  

 

安心して、ほめたたえていきたいですね。あの方を。

そして、

「主よ、来てください」と。

 

今日も。

 

 

 

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