私たちの希望です。遅くなることはないのだそうです

荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。イザヤ書35:6
 

 

預言者ヨハネの手紙:

天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川を私に見せた。

川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があった。黙示録22:1~2
  (ローズンゲン日々の聖句5/27;火)

 

 

そこには、もはや、呪われるものは何一つない。荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌うのだそうです。狼は小羊と共に宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子供はこれを追っていく。雄牛と熊とはともに草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。もう、害を加えたり、そこなったりすることはないのだそうです。...
自分の着物を洗って、命の木の実を食べる権利を、あの方は御子イエスによって与えて下さり、イエスによってその都に入れるようにしていて下さるのだそうです(イザヤ11:6~、黙示録22)。
 私たち、その希望をもって生きるのですね。今日も。

 

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