弱さを思いやってくれる方が、執り成して下さるのですね

サムエルの言葉:

あなたたちは

このような悪を行ったが、

 

今後は、

それることなく

主に付き従い、

 

主に仕えなさい。

 

 

私もまた、

あなたたちのために

祈ることを止めない。

サムエル記上12:20、23

 

 

 

大祭司は、

自分自身も

弱さを身にまとっているので、

無知な人、迷っている人を

思いやることができるのです。

ヘブル書5:2
   

 

 (ローズンゲン日々の聖句5/17;土)

 

 

善悪を知る者となった私たちは、

自分の考えを推し進め、

あの方の御思いからは

それてしまっている者なのですね。

 

 

それで、

あの方は、

あの方と私たちの間を取り持つ者として

大祭司を立てられたのだそうです。


 

イエスは、

大祭司として、

私たちの弱さを思いやることができるために、

私たちと同じ弱さを身にまとわれ、

 

私たちと同じように、

試みに会って下さったのだそうです。


 

そのイエスがいて下さるので、

私たちは、

あわれみを受け、

恵みをいただいて、

おりにかなった助けを受けるために、

大胆に

恵みの御座に

近づくことができるのだそうです。


 

イエスがいて下さるのですから、

おりにかなった助けをいただくために、

 

弱さのまま、

怒っているなら怒っているまま、

信じられないなら信じられないまま、

あの方の御前に

出て行くのですね。

私たち。

 

今日も。

 

 

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