進んで心からするものに造り変えて下さるのだそうですね。お願いさえすれば

モーセを通じて

主が行うようお命じになった

すべての仕事のために、

 

進んで

心からする

イスラエルの人々は、

男も女も皆、

 

随意の捧げ物を

主に

携えて来た。

出エジプト35:29


 

 

各自、

不承不承ではなく、

強制されてでもなく、

こうしようと心に決めたとおりに

しなさい。

 

喜んで与える人を

神は

愛して下さるからです。

Ⅱコリント書9:7
  (ローズンゲン日々の聖句5/10;土)


 

 

パウロをしてこう言わしめた方は、

御自身、

こう思っていらっしゃるのでしょうね。

 

 

「わたしは、

あなたのなすべきことを少しもはばからずに命じることができるのですが、

むしろ

愛によって、お願いしたいと思います。

 

わたしは

あなたの同意なしには

何一つすまいと

思いました。

 

それは、

あなたがしてくれる親切は

強制されてではなく、

自発的でなければいけないからです

(ピレモン書8、14)」

と。

 

 

それは、

御子である方と聖である霊と呼ばれる方が、

御父に対して、

機械的にではなく、

こうあらねばならないからでもなく、

もちろん、

強制されてでもなく、

愛と尊敬のゆえに

自ら進んで、

心から

御父と心を一つにしていらっしゃる。

 

 

その

「我々が一つ」の

かたち、

モデルとして

願われた人間は、

 

御子である方や聖である霊と呼ばれる方と同じに、

進んで、心から、自発的に、

御父と心を一つにするものをと願われているのでしょうね。

 

自発的に、自ら進んで、

御父と心を一つにすることを願い、

 

そのために、

聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、

 

この方が心に思わせて下さる

御父の御思いについて行くもので

ありたいですね。

 

今日も。

 

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