自分に義の一点もないと分かった者は、ただ、いただくだけなのですね。あの方からは

あなたたちは

喜びのうちに、

救いの泉から

水を汲む。

イザヤ書12:3
 

 

 

渇いている者は

来るがよい。

 

命の水が欲しい者は、

価なしに

飲むがよい。

黙示録22:17
 

 

 (ローズンゲン日々の聖句5/9;金)


 

 

命の水が欲しい者は、

価なしに

飲んでいいのですね。

 

「御子の命」という代価を、

あの方のほぅで

すでに払っていて下さるのだそうですから。


 

ただ、

既に満ち足りている者は

飲もうとしませんよね。

 

 

ですから、

義に飢え渇いている者、

 

自分には

あの方の前に差し出すべき義は

一点もないと知っている者、

 

乞食のように、

自分には何も持っていなくって、

もらうしか生きるすべを持たない者は

幸いだって

言われるのですね

(マタイ5:3~6)。

 

 

飢え渇いている人は、

お金を払わないで、

ただで、

なんのお返しも出来ないままで、

思いっきり

もらうことができるのですから。...


 

命の水に

直接、

口をつけて

グイグイ飲んでいけるのですね。


 

「入れ物がない。両手で受ける」


そんな心境でしょうか。

今日も。

 

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