賢くするというその木は、いかにも好ましかったのだそうです

女は
実を取って食べ、
一緒にいた男にも
渡したので、
彼も
食べた。
創世記3:6
 
 
 
エバが
蛇の悪だくみで
あざむかれたように、
 
あなたがたの思いが
汚されて、
 
キリストに対する
真心と純潔とから
 
それてしまうのではないかと
心配しています
Ⅱコリント11:3
    
(ローズンゲン日々の聖句5/7;水)
 
 
まことに食べるのに良く、
目に慕わしく、
賢くするというその木は
いかにも好ましかったのだそうです。
 
それは、
そう見え、
そう感じたのですから、
いいとか悪いとか
言えることではないのでしょうね。...
では、
問題はどこにあったのでしょうか。
 
 
その自分の感じ、
自分の判断を
最善とし、
 
あの方に相談し、
見ていただくことなしに
行動に移してしまったことなのでしょうか。
 
自分の感じ・判断を
あの方に知っていただいて、
あの方と共有し、
 
あの方の思いもお聞きして
あの方の思いも
共有し、
一つ心になる。
 
その、
あの方との「一つ」を捨てて、
 
自分の理性を
あの方よりも上のものとし、
自分の判断だけで
行動したこと。
 
それはちょうど、
結婚において、
一人の男と一人の女が
「一つ」になるはずなのに、
 
心を一つにしようとせず、
自分の理性・判断を
そのまま押し通して、
 
相手を自分の判断に従わせようとする、
その「ズレ」
(的外れ、ハマルティア)
つながっているのでしょうね。
 
イエスの十字架刑での処刑による贖い
(アガナイ、代価を払って買い戻すこと)
が成り、
 
自分一人で善悪を決めてしまう者となってしまっている
「生まれた時からの霊」の
死亡手続きが完了し、
 
イエスによって
新しく、
「聖である霊」と呼ばれる方が
私たちの内に派遣され、
 
その方が
私たちの心に働きかけて、
 
あの方と
思いを一つにするように
して下さるとの約束。
 
体験したいですね。
今日。
 
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