信仰がなくならないように祈っていて下さるのだそうです。あの方

信じなければ、
あなたがたは
確かにされない。
イザヤ書7:9
 
 
イエスは
ペトロに言われた。
 
「わたしは
あなたのために、
信仰がなくならないように
祈った。」
ルカ22:32
 
(ローズンゲン日々の聖句5/6;火)
 
 
あの方との信頼関係がなければ
立つことはできないのだそうです。
 
ところが、
善悪を知る者となった私たちは
(創世記3:22)
あの方に信頼するよりも、
あの方に対抗し、
あの方の思いよりも自分の判断を上位に置く者と
なっているのですね。
(イザヤ14:13、14)
 
 
だから、
私たちの「信仰」は、
自分の判断による自分の信仰でしかなく、
あの方の御思いよりも
自分の判断で行動して行く者なのですね。
 
イエスのためにはいのちも捨てますと言った
数時間後に、
三度も、
しかも、
誓ってまで
イエスを知らないと言ったペテロも
そうですが、
 
知恵と信仰の人ソロモン王も、
あの信仰深いヒゼキヤ王さえも、
信仰を全うすることは出来なかったのですから。
 
 
それなのに、
あの方は
私たちには全うせよと仰られるのでしょうか。
 
イエスは
私たちが善悪を知る者であることを
十分ご存じで、
 
私たちの信仰を当てにせず、
ご自分のほうで私たちとの信頼関係を確立して下さるのだそうです。
 
善悪を知る者となり、
あの方に対抗する者となった私たちの霊を
死んだものとするために、
 
ご自身が十字架刑で処刑されて下さったので、
私たちの生まれた時からの霊は
処刑されたものとなったのですね。
(ロマ6:11)
 
そのうえで、
受け入れる者に、
新しく、
聖である霊と呼ばれる方を派遣して下さり、
(ヨハネ14:16)
 
この、
新しい、聖である霊と呼ばれる方によって
私たちの心の思いに
あの方の御思いを思わせて下さって、
あの方と私たちとが
思いを一つにするようにして下さるのだそうです。
(エゼキエル36:26、27)
 
だから、
仰られるのですね。
聖である霊をお迎えし、
聖である霊の中に満たされなさい。
(ヨハネ20:22、使徒1:4~5)
そうすれば、
あの方と心を一つにする者となり、
あの方がしようとすることをする者となりますと。
(ヨハネ14:12)
今日も。
 
イメージ 1