新しい霊によって、あの方の思いが私たちの口から語られるようになるのだそうです。イエスのように

主よ、
私の口に
見張りを置き、
 
唇の戸を
守ってください。
詩篇141:3
 
主のしもべたる者は
争わず、
 
すべての人に
柔和に接し、
 
教えることができ、
 
よく忍ばなければ
なりません
Ⅱテモテ2:24
    
 
(ローズンゲン日々の聖句4/22;火)
 
心にある思いが
言葉として
口から出て来るのだそうです。
 
 
だから、
口から出てくる言葉を変えようと思えば、
心を変えればいいのだそうです。
 
 
そして、
心の思いは、
内側の霊から来るのだそうです。
 
それで、
内側の霊を取り換えれば、
心の思いが変わり、
口から出てくる言葉が
変わってくるのだそうですね。
 
 
あの方は、
私たちが
あの方と一つ思いになるために、
私たちの内側の霊を
取り換えようとされているのだそうですね。
 
それで、まず、
私たちの内側で
私たちの心に思いを与えている霊
(生まれた時からの霊)を
死んだ者としようとされているのだそうです。
 
そのために、
御子である方を、
人間イエスとして私たち人間の世界に派遣され、
 
この方を、
私たちの身代わりに、
十字架刑で処刑して、
 
私たちの内の「生まれた時からの霊」を
死んでしまったものと
みなされたのだそうです。
 
そのうえで、
この方を
死者の中から復活させ、
ご自分の右の座に戻したのだそうです。
 
そして、今度は、
イエスに代わって、
もう一人の方、
「聖である霊」と呼ばれる方を
私たちの内に派遣し、
 
この方によって、
内側から、
私たちの心に、
ご自身の思いが来るようにされたのだそうです。
 
 
そして、
これを受け取って欲しいと願って、
私たちの前に
差し出しておられるのだそうですね。
 
それで、今は、
私たちが
この提案を承諾し、
受け入れるなら、
 
私たちは、
「聖である霊」と呼ばれる方によって、
あの方の御思いを
心に思う者になるのだそうです。
争わず、柔和に接し、親切に教え、忍んで待つ、寛容な心は、
あの方の心なのですね。
 
それで、
私たちが、
「聖である霊」と呼ばれる方によって、
あの方と思いを一つにしていただくとき、
 
その思いが
私たちの口の言葉として
出て来るようになるのだそうですね。
 
今日も。
 
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