恵み深く、お赦し下さる方なのですね。あの方

主よ、
あなたは
恵み深く、
お赦しになる方。
 
あなたを呼ぶ者に、
豊かな慈しみを
お与えになります。
詩篇86:5
 
 
 
イエスは
大声で叫ばれた。
「父よ、
わたしの霊を
御手にゆだねます。」
 
こう言って
息を引き取られた。
ルカ23:46
  
 
(ローズンゲン日々の聖句4/18;金)
...
 
 
あの方が
私たちを赦すためには、
私たちの身代わりに、
独り子である方を
処刑することが
必要だったのだそうです。
 
しかも、そのことは、
天地が造られる前、
私たち人間を造ろうと思い立たれた時から、
既に
確認されていたことなのだそうです。
 
「われわれが一つになっているように、
われわれと一つになるものを造ろう」と
思い立たれた時、
 
愛と尊敬のゆえに
一つになっておられるゆえに、
 
造った
者も、
自動的にでもなく、
「ねばならないから」、「こうあるべきだから」でもなく、
 
愛と尊敬のゆえに、
自発的に
自分たちの「一つ」に加わる者を、と
望まれたのだそうですね。
 
だから、逆に、
その自発的な意思によって
「われわれのひとつ」から
はずれていくことは
予想できたのでしょうね。
 
その時、
この創造の御業をあきらめ、
中断してしまうことも選択出来たのでしょうけれど、
 
聖である霊と呼ばれる方が言われたのでしょうか。
「その時は、
わたしが、
わたしを受け入れる人のところに行って、
父である方の御思いを
人の心に書きつけ、
一つ思いをもつ者にしましょう」と。
 
 
そして、
御子である方が、
「では、その前に、
あなたが行っても人が滅びてしまわないように、
 
私が人となって、
人間に代わって
人間のはずれの罰を全部負いましょう。」
 
 
 
そして、
いよいよ創造の御業が始まり、
それは御思いのとおりに
完成したのだそうですけれど、
 
人は、
予想のとおり、
あの方々と一つであるよりも、
自分の理性の判断を最善とし、
自分の判断のとおりに生きる道を
選んだのだそうです。
 
そこから、
あの方との一つから外れた人間の歴史が始まったのですが、
 
いよいよ、
あの方の御計画の時が満ちて、
御子である方が
人として生まれられ、
 
33年の人としての歩みの後、
十字架刑で処刑されるという道を
全うされ、
 
贖い(あがない=買い戻し)の御業を
完了させて、
霊を父である神にお渡しになったのだそうです。
 
 
それで
イエスによって贖いの業が完了している
今は、
 
もう一人の方、
聖である霊と呼ばれるお方を
お迎えするなら、
 
このお方によって、
父である方の御思いが
心に来て、
 
父である方と一つ思いになり、
一つ行動をするという、
新しい生き方をすることができるのだそうです。
私たちが了承さえするならば。
 
今日も。
 
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