救いに、新しい生き方に入れていただけるのだそうです。私たちも

主は
言われます。
 
「虐(しいた)げに苦しむ者と、
(うめ)いている
貧しい者のために、
 
今、
わたしは
立ち上がり、
 
彼らが
あえぎ望む
救いを
与えよう。」
詩篇12:6
 
 
 
イエスの言葉:
その方(弁護者)
来れば、
罪について、
義について、
 
また、
裁きについて、
世の誤りを
明らかにする。
ヨハネ16:8
 
 
(ローズンゲン日々の聖句4/4;金)
 
時が来た今、
あの方は、
多くの預言者たちもあえぎ望んでいた救い、
 
あの方と
心を一つにし、
思いを一つにして歩むという、
 
約束されていた
新しい生き方を
与えようと
言って下さっているのですね。
 
 
弁護者とか、
もう一人の助け主とか、
真理の御霊とか、聖である霊とか
呼ばれるそのお方が
私たちの内にまで来て下さって、
 
イエスが言われる
「父がわたしにおり、わたしが父におるように、
あなたがたがわたしたちにおり、私たちがあなたがたの中におるようになり
(ヨハネ17:21~23)、
 
 
その方は、
自分から語るのではなく、
聞くままを、父である方が語るままを、
私たちに話す方なのだそうですから
(ヨハネ16:13)、
 
 
父である方、
御子であるイエス、
 
そして
聖である霊と呼ばれる方が
一つであるように、
 
私たちが
その方と一つになるのだそうです
(ヨハネ17:22)。
 
 
イエスが、
「わたしが
自分から話しているのではありません。
 
私のうちにおられる父が、
ご自分のわざをしておられるのです
(ヨハネ14:10)。」と
言っておられるように、
 
私たちのうちにも、
「聖である霊」と呼ばれる方によって、
父である方が語ろうとしておられる思い、
しようとしておられる思いが
来て、
 
私たちが
その思いのとおりを
話していき、
して行くとき、
 
私たちは、
父である方が
私たちを通してしようと思っていらっしゃることをする者になり、
 
 
「わたしと父とは一つです
(ヨハネ10:30)。」と
言われた
イエス様と御父との関係に
似せられていくのだそうですね。
 
 
私たちの先入観、
思い違いを正されて、
イエスによって与えられた、
この新しい生き方に
あずかっていきたいですね。
 
今日も。
 
 
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