永遠の命とは、唯一のまことの神である方と、イエス・キリストとを体験的に知ることなのだそうですから

一粒の麦は、
地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
 
だが、
死ねば
多くの実を
結ぶ。
ヨハネ12:24
(ローズンゲン今週の聖句)
 
 
 
あなたたちの神、
主こそ、
上は天、
下は地に至るまで
神であられる。
ヨシュア記2:11
 
 
 
 キリストは、
神の身分でありながら、
と等しい者であることに
固執しようとは
思わず、
 
かえって
自分を無にして、
(しもべ)の身分になり、
 
人間と同じ者になられ、
人間の姿で
現れました。
フィリピ書2:6~7
 
 
 (ローズンゲン日々の聖句3/30;日)
 
 
この方は、
上は天の天、
下は地の最も深い所までの
すべての所の、
創造者であり、
審判される方なのだそうです。
 
 
だから、
この方だけ
人を生かし、
 
命を
死から救い出すことのできる方
なのだそうですね。
 
けれども、
正義と公正をつらぬきながら、
あるべき場からはずれてしまっている者を
赦すためには、
 
この方ご自身で
正義の要求を
満たさなければならなかったのだそうです。
 
 
そのた.めに、
この方の意向を受けて、
御子である方は
ご自分の地位を捨てて、
私たちと同じ人間になられ、
 
人として、
私たちが受けるはずの
刑罰のすべて、
 
人類のすべての罪を
御自身の身に背負って、
十字架刑で処刑されて下さり、
 
呪われたものとなって
天と地との間にかかげられて、
天にあるもの、地にある者のすべてに
さらされて下さったのだそうです。
 
このことによって、
私たちのすべての「外れ」は、
処刑済みと見なされ、
 
私たちは
「聖である霊」と呼ばれる方を
お迎えすることが出来る者となったのだそうです。
 
この方は、
私たちの内に来て、
私たちの心に
父である方の御思いを起して下さり、
 
私たちが
父である方と思いを一つにし、
行動を一つにするという、
創造の目的に適った生き方を
始めて下さり、
 
永遠の命と呼ばれる、
あの方との関わりを持ちながら生きていくという、
新しい生き方を
生きさせて下さるのだそうです。
 
さて、
あの方は、
私たちを通して
何をしようとなさるのでしょう。
 
どんな思いが
私たちの心に
来ることでしょう。
 
今日。
 
 
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