自由な、新しい生き方が始まっているのに、旧い、奴隷の生き方に後もどりして欲しくないのだそうですね。あの方

ダビデは
その神、
主によって
力を
奮い起した。
サムエル記上30:6
 
 
 
キリストは
私たちを
自由の身にしてくださったのです。
 
だから、
しっかりしなさい。
奴隷のくびきに
二度と
つながれてはなりません。
ガラテヤ書5:1
  (ローズンゲン日々の聖句3/4;火)
 
 
捕虜にされ、
連れ去られた
妻や子供を
取り戻し、
自由にすため、
 
力を奮い起こさせてもらって
敵を追撃した
ダビデ。
 
 
律法の下から
私たちを
自由にするために、
力を奮い起して
十字架刑の処刑に向かって
まっすぐに進んで下さった
イエス。
 
 
戒めを守り、
その
自分の行いで
自分の義を立てていく道から、
 
自由にしていただいた
私たち、
 
二度と再び
その道に戻ることのないようにと
勧められているのですね。
 
あの方の
愛と憐れみによって
プレゼントとして差し出して下さった道、
 
イエスが受けて下さった
十字架刑での処刑によって、
私たち、「生まれたときからの私という霊」は、
死んでしまったもの、処刑が済んでいるものと
みなしていただき、
 
復活し、
天に帰り、
あの方の右の座に着かれた
イエスが
派遣して下さる
「聖である霊」と呼ばれる方を
お迎えして、
 
この方によって
私たちの心に起こされる、
あの方の、
今の、私に関わる御思いによって
行動していくという
あたらしい道から
逆戻りしないようにと。
 
 
私たちの立っている土台は、
これだけ戒めを守れるようになった、
これだけ良い人間になれたという、
私の行いの実績ではなく、
 
さらに言えば、
私の信仰でさえもなく、
 
ただ、ひとえに、
私たちを大切に思って下さっている、
あの方の
「憐れみ」による、
あの方の御業の実績なのでしょうね。
 
今日も。
 
イメージ 1