一緒に歩いていて下さるのだそうですね。あの方が

イスラエルの希望、
苦難の時の救い主よ。
 
なぜ
あなたは、
この地に身を寄せている人
宿を求める旅人のように
なっておられるのか。
エレミヤ書14:8
 
 
 二人の弟子が
話し合い
論じ合っていると、
 
イエスが
近づいて来て
一緒に歩き始められた。
 
しかし
二人の目が
さえぎられていて
イエスだとは
分からなかった。
ルカ24:15〜16
  
 
(ローズンゲン日々の聖句2/21;金)
 
 
私たちの苦難の時に、
あの方は、
まるで
この地に身を寄せているだけの外国人か、
一夜の宿を求めている旅人のように、
見て見ぬふりをし、
関係のない者のように
すげなくされているかのように
思われることがあります。
 
けれども、
れは
私たちの目がさえぎられているため
気がつかないだけで、
実際は
あの方のほうで近づいて来て下さって、
一緒に歩んでいて下さり、
守り、導き、背負って
運んで下さっているのだそうです。
 
 
だから、
こちらはだだ、
バタバタしているだけなのに、
いつしか
通り過ぎさせて下さるのだそうですね。
 
から、
向こう岸への道筋は
見通せなくても、
 
御言葉ですから」と、
ともかく、
一歩踏み出してみると、
次の一歩分の道が開かれ、
いつしか、
向こう岸にたどり着いているのだそうですね。
 
 
あの方が
書き付けて下さる
心の声に
ついて行ってみましょう。
 
今日も。
 
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