諭したり、懲らしめたりする必要が起こった時

今わが子よ、
主の諭を
拒むな。
 
主の懲らしめを
避けるな。
箴言3:11
 
 
 
あなたがたにゆだねられている、
神の羊の群れを
牧しなさい。
 
強制されてではなく、
神に従って、
自ら進んで
世話をしなさい
Ⅰペテロ5:2
 
 
(ローズンゲン日々の聖句2/15;土)
 
 
 
自分の思ったとおりに生きたい、
「善悪を知る者になった」私たちにとって、
諭されるとか懲らしめられるって
嫌だなって感じですね。
 
 
神の羊を牧するということの中にも、
この
諭したり懲らしめたりすることも
含まれているということでしょうか。
 
 
もし、
群れの中に、
はずれていったり、
他を傷つけたり、
そこなっていく者が出て来ると、
諭したり懲らしめたりすることが
必要になって来ることも
あるのでしょうか。
 
でも、
その時、
人間的な思いからではなく、
あの方の御心を受けて
やって行きたいものですね。
 
イエスが
「もしわたしがさばくなら、
そのさばきは正しいのです。
 
なぜなら、
わたしひとりではなく、
わたしと
わたしを遣わした方とが
さばくのだからです。」 
(ヨハネ8:16)
言っておられるように。
 
今日も。
 
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