霊が替わると、思いが替わるのですね。

姦淫してはならない。
出エジプト記20:14
 
 
 
結婚は
すべての人に
尊ばれるべきである。
ヘブル書13:4
 
 
 (ローズンゲン日々の聖句11/22;金)
 
 
あの方は
結婚を特に重んじておられるようです。
 
結婚は
一人の男と一人の女が
一体となること。
 
「我々が一つであるように、
一つになるものが欲しい」との
あの方の願いの現れ。
 
あの方々の一体を表す型。...
 
それゆえに、
他の女に、他の男に行くことは、
一体を壊し、
あの方々の一体を表す型を
放棄すること。
 
あの方々との一体をやめて、
自らが
「善悪を知る者」となった私たち人間は、
あの方々の一体を表す型である
結婚も
軽んじるようになったということでしょうか。
 
生まれた時からの私という「霊」から来る思いは、
妻(あるいは夫)以外の女性(あるいは男性)との関係を持つことに
魅かれ、
追い求めていく傾向をもっているようです。
 
しかし、
新しい
「聖である霊」と呼ばれる方から来る
思いは、
 
姦淫や不品行を
汚れ(けがれ)と感じ、
清潔を求めていく思い
なのだそうです。
 
生れたときからの私という「霊」は、
イエスの十字架刑で
処刑されたものと認め、
計算して、
 
「聖である霊」と呼ばれる方を、
さらに、さらに
お迎えして、
 
その方の中に満たされ、
浸されて、
 
あの方の御思いが
心いっぱいに満ちて、
 
自分のからだを、
聖く、尊く保つ思いで
心が満たされていきたいものですね。
 
今日も。
 
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