本気で守ろうと思って、口にするのですが、おおもとのズレを戻すことが出来ないのですね。

お前は
わたしの掟を
片端から唱え、
わたしの契約を口にする。
 
どういうつもりか。
お前はわたしの諭を憎み、
わたしの言葉を捨てて
みないではないか。
詩篇50:16〜17
 
 
 
イエスの言葉:
わたしを
「主よ、主よ」と呼びながら、
 
なぜ
わたしの言うことを
行わないのか。
ルカ6:46
 
 
 (ローズンゲン日々の聖句11/8;金)
 
 
あの方の掟、
契約の言葉を
常に口にしながら、
いっこうに行おうとはしないということ
あるのですね。
 
献げものや奉仕、
霊的な力ある業、宣教などに
大きな働きをしながら、
あの方が願っている
正義と公正、憐れみは
行おうとしないということも
あるようですね。
 
一番基本的なところでは、
あの方と
思いを一つにしようとしない。
 
信仰的なことにしろ、
世界平和とかの人道的なことにしろ、
自分の理性での判断を最善とし、
その実現を目指し、
あの方の意見を聞こうとはしない、
ということもあるのでしょうね。
 
意識してそうする場合もあるのでしょうが、
信仰に熱心であろうとしながら
そういう結果になってしまうことも多いのでしょうね。
その
人間の在り方の
大元のズレ、
私たち自身で
それを元に戻すことはできないのだそうです。
 
それで、
御子である方が
私たちに代わって処刑されて下さることで、
生れた時からの私という霊は
刑済みと見なされ、
 
代わって、
新しい霊と呼ばれる方が
来て下さることによって、
私たちは、
この新しい霊と呼ばれる方の御思いを
が思いとして生きるという、
 
あの方の一つに加わるという
新しい生き方が始まっているのだそうです。
 
そのことにあずかっていきたいものですね。
 
今日も。
 
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