一週間に一度は、休みを大切にしたいですね。やがて来る安息を期待して。

六日の間
働いて、
 
何であれ
あなたの仕事をし、
 
七日目は、
あなたの神、
主の安息日であるから、
いかなる仕事も
してはならない。
出エジプト記20:9〜10
 
 
神の安息にあずかった者は、
神が
御業を終えて休まれたように、
分の業を終えて
休んだ。
ヘブル書4:10〜11
 
 
 (ローズンゲン日々の聖句9/22;日)
 
 
安息に入れて頂ける約束なのですね。
 
その、
やがて来る安息の
予告として、
モーセを通して与えられた
「十戒」に
安息日の規定があるのでしょうか。
 
 
とすると、
この安息日の規定がおろそかにされることは、
将来、
与えられる安息の
告知が
あやふやになってしまうことなのでしょうね。
 
とすると、
あの方が
「安息日」の規定に厳しかったことも、
なるほどと思いますね。
 
造られたもので、
神の前で
隠れおおせるものは何一つなく、
 
神の目には、
すべてが裸であり、
さらけ出されているのだそうですね。
 
して、
私たち人間は、
安息に入るために、
この神に対して
自分のことを
弁明するのだそうです。
 
自分で自分の生き方の弁明が
成り立たない者のために、
 
あの方は、
神の子イエスを
大祭司として立てていて下さるのだそうですね。
 
の方が、
ご自分の血をもって
執り成して下さるので、
 
私たちは、
う、
自分で自分の弁明をしなくていいのだそうです
 
この方の弁明によって、
私たちは
安息に入れていただけるのだそうですから。
 
私たちは、
その時だけではなく、
この地上の歩みにおいても、
憐れみを受け、
恵みをいただいて、
おりにかなった助けを受けるために
 
大胆に
お名前を呼んで、
恵みの御座に
近づいていいのだそうです
(ヘブル書4:13~16
 
この、
今いる場所で。
 
今日も。
 
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