救い主として関わっていて下さるのだそうですね。あの方。

主よ、
朝ごとに、
我らの腕となり、
 
苦難のとき、
我らの救いと
なって下さい。
イザヤ書33:2
 
 
私たちは
昼の子どもなのですから、
信仰と愛を胸当てとして
着け、
 
救いの希望を
兜としてかぶり、
 
身を慎んでいましょう
Ⅰテサロニケ5:8
 
(ローズンゲン日々の聖句9/18;水)
 
 
朝ごとに、
私たちの力、
救いとなって下さっているのですね。
あの方が。
 
そして、
天で、
私たちのための場所の用意が出来たら、
私たちを迎えに、
二度目に
来られるのだそうです。
 
 
それが起こるのは、
いつなのか、
どういう時なのか。
 
人々が
「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、
突如として
起こるのだそうです。
 
だから、
そのことを忘れて、
この世のことに
まぎれてしまっていないで、
 
今日がその日でも大丈夫なように、
あの方との
つながり、関係を、
私を救って下さっている方と
確認しながら、
 
その日を待ち望みながら、
私たちを通して働かれる
あの方の働きに
目を留めていくのですね。
 
今日も。
 
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